eラーニング教育論(書きかけ1)

生命の本質を「増えて遺伝する物理現象」と捉えると、「教育」も、「文化」の継承という意味で「生命の進化」の類推が成り立つかも知れない。生物学的な「遺伝」は、特定の父母の遺伝子の継承である。なお、父母が生殖する前に、生殖細胞の遺伝子の一部が、宇宙線やその他の外因により変異する可能性がある。私たちはそのような遺伝子を受け継ぎ、また子に託す。ただ、継承する遺伝子によらず、遺伝子への「エピジェネティック」な修飾により、当事者には必ずしも継承した遺伝子どおりの発現にはならないこともある。
さて、話を「教育」に戻そう。
「教育」とは? ってやっているとラチがあかないので、やめることにするが、本質は、「教える立場」と「教わる立場」があり、「伝達される内容」と「伝達方法」が在ることに尽きる。
「教わる立場」または「伝達方法」に問題があれば、「伝達される内容」は、良し悪しは別にして段々ジリ貧となり途絶える。
「教わる立場」の者は、かつて(今も)は「みな同じように集団で教わるもの」と思って、学校に通っていた。ただ、学校教育は昔から「(現政権が目論む)富国(強兵)」を目的として、出る釘は潰し、落ちこぼれは陣地の土塁とするような優生学的な淘汰をしてきた。
しかし、新型コロナ禍を契機として「eラーニング」が脚光を浴びてきた。
eラーニングの目指すことは「教わる各個人の能力を効率的かつ最大限に発揮できるような、一人ひとりへの最適教育」ではないかと思う。
でも、そんなことをどうやって実現するの?
色々なLMSを見たけど、いずれも対象者(生徒)への提示は、「説明、テスト、解答、正解であればご褒美、誤答であれば再テスト」のセットだった。
成績や達成度で「ヤル気」を持続できるものであろうか?
それよりも、興味の連続でヤル気が継続するようにできないか?
「日本のオンライン教育最前線」(編集:石戸奈々子、出版:明石書店、2020)と「すぐにできる!双方向オンライン授業」(編集:福村裕史他、出版:化学同人、2020)を読んでも、よく分からない。
「人を賢くする道具-インターフェース・デザインの認知科学-」(著:D.A.ノーマン、監訳:佐伯胖、ちくま学芸文庫、2022)にヒントがあるかもしれない。

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